日本一周 宮城県

【日本一周No.26】津波で流された街、震災遺構が物語るもの <宮城県②>

2021年9月2日

どうもこんにちは!
クレヨンぶろぐです🚐💨

今回は、東日本大震災の津波により甚大な被害を受けた街のひとつ、仙台市の「荒浜地区」に訪れた際の様子をご紹介していきます。この荒浜地区における震災前と震災後の姿を身を持って感じ、改めて津波の脅威を思い知らされました。

それでは早速いってみましょう。

荒浜地区とは

まずはじめに『荒浜地区(あらはまちく)』とは、宮城県仙台市若林区の沿岸部に位置する地区のことをいいます。

MAP|地図

多くの住民が生活していたこの街では、津波によってほとんどの住宅が流されてしまい、荒浜地区周辺だけでも200名近くもの方の命が犠牲になってしまったそうです。

少し見にくいとは思いますが、下写真が震災前後を比較した荒浜地区の写真です。集落のほとんどの住宅、そして周囲を囲んでいたクロマツ林が流されてしまったことが分かります。

現在、遺構として残された場所以外は、公共用地として整備が進められ、ほんの10年前まで住宅が立ち並んでいたとはとても思えない光景が広がっています。

ただ、集落の中央を流れる運河を渡る橋の上で、震災前の写真と現在の姿を見比べることで、確かにそこに生活があったことがイメージでき、一瞬にしてそれが流されてしまったことが分かります。

私が訪れた被災地のうち、大きく街という括りで震災前後をイメージできる場所は、この荒浜地区が一番だったように思います。

震災遺構として残る小学校

この荒浜地区には、現在は震災遺構として残る『仙台市立荒浜小学校』の校舎があります。

私が訪れた際には、どこかの小学生が校外学習?に来ており、その賑やかさが校舎に響いて、まるでまだ小学校として存在し続けているようでした。

そんな賑やかさとは反対に、凄まじい津波の爪痕が至るところに見受けられる施設です。

MAP|地図

1.外から見た校舎

海岸から小学校までの距離は約700m。4階建の校舎のうち、2階足元の高さまで津波が押し寄せました。

特に、海に近い部分には、津波の威力を物語る姿が生々しく残っています。

下写真は、校庭に設置されていた二宮金次郎の像。津波で台座ごと流され、震災の8ヶ月後、小学校から約100m離れた場所で発見されたそうです。

2.校舎内を見学

続いて、校舎内へと入っていきます。

1F

廊下部分の一部が歩けるようになっており、部屋の内部を覗くような形で見学することができます。

部屋の内部の瓦礫などは、すでに撤去されていますが、展示されている写真で津波が襲った当時の姿が分かります。

こちらは、1Fの部屋の一つ。2F足元の高さまで津波が押し寄せたため、天井の内装が剥がれ落ちてしまっています。

2F

下写真は海側に面した部分で、ベランダのコンクリート塀とフェンスがなぎ倒されてしまっています。

こちらが津波到達ラインの表示。ちょうど膝下ぐらいまでの高さです。2F天井部にも津波の飛沫によるシミが残っており、どれだけ激しいものだったかが分かります。

3F

3Fは公開されておらず、シャッターが閉められていました。被災当時は、避難場所として利用されたそうです。

下写真は、当時3年生の担当教諭だったという方が書かれた手記です。

当事者の言葉というのは、やはりものすごく現実味があり、当時の光景をリアルに想像できます。経験したことのない状況下でも、他者への思いやりによって、その時を乗り越えていかれた被災者の方々の強さを感じました。

4F

4Fに上がると、資料や写真、映像によって、震災発生時から避難者救助までの経過、また荒浜地区の歴史などを学習することができます。

ある部屋には、荒浜小学校に通っていた子供たちの寄せ書きが残されていました。前向きな言葉ひとつひとつに力強さを感じます。

下写真は、震災前の街並みや記憶を継承していくために、ワークショップを通して作成された模型です。各所に立てられた旗には、その場所での思い出などが書かれていました。

こちらは震災発生から、避難者全員の救助までの経過。

いつ救助が来るかも分からない、家族は無事なのか、これからどう生活していくのか、そんな大きな不安を抱えながら、身を寄せ合って過ごす時間はどれほど辛く長いのでしょうか…。

記録として見ることはできますが、とても想像が及ぶものではないというのが正直なところです。

こちらは、避難時の状況を展示したもの。

避難者ひとりひとりに毛布が1枚配られたそうですが、夜はかなり冷え込み、暖を取るには不十分ということで、段ボールやカーテンを床に敷き、なんとか寒さを凌いでいたそうです。

こちらは震災後に、元住民の方によって撮影された写真の数々。

瓦礫だらけの街、言葉が出ません。ご自身が住んでいた街の変わり果てた姿を撮影するというのは、なんともやるせない気持ちだったと思います…。

こうした記録によって後世に語り継がれていく、本当に貴重なものだと感じました。

3.校舎屋上から見る周囲の光景

最後に、屋上へと上がります。

屋上入口には、見学ポイントの資料が備え付けられており、震災前の写真と現在の姿を比較することができます。

海岸方面

校舎南側(校庭側)

校舎西側

360度どこを見ても、震災前・震災直後の様子の面影はほとんどなく、現状は更地のようになっています。こうして見比べることで、荒浜地区のこれまでの経過がすごくよく分かりますので、訪れる機会があれば、ぜひ手に取ってみてください。


大まかではありますが、以上がこちらの震災遺構の展示内容です。

一つ一つの展示の内容が濃く、本当に勉強になりますし、自分ごととして震災を捉えることができる場所でした。

辛うじて残る住宅の一部

荒浜地区には、もうひとつ震災遺構があります。それは『震災遺構 仙台市荒浜地区住宅基礎』です。

MAP|地図

上の写真を見ていただくと、基礎下の地盤まで削られている事がお分かりいただけると思います。津波には、地形をも変えてしまう威力があるということです。

その他には、コンクリート造の建物の一部が部屋として認識できる状態で残されていました。

生活感があり、生々しさがあります。

このように、被災した住宅が保存されているのは、他の被災地を見ても数少ないと思います。

先述の学校とはまた違った視点で、津波の脅威を感じとることができますので、荒浜小学校と合わせて見学することをおすすめします。

おわりに

宮城県の被災地の一つ「荒浜地区」の現在の姿、いかがだったでしょうか。

以前、訪れた福島県双葉町では、震災当時の姿が残る街並みを見た一方、今回は津波によって流され、わずかな建物だけが残る街並みを目の当たりにしました。前回とはまた違って、津波の脅威をまじまじと感じさせられる貴重な経験になったと思います。

本当に多くの情報や体感を得ることができるので、少しでもご興味があれば、ぜひ一度足を運んでみてください。

それでは本日はこの辺で。

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