どうもこんにちは!
クレヨンぶろぐです🚐💨
今回の記事では、福島県の沿岸部を縦断し、東日本大震災の被災地・伝承施設を訪れた1日をご紹介します。
震災から10年、私が被災地に訪れるのは他県を含め今回が初めてです。現状のイメージが付かず、最初の相馬市に入る時から、どんな光景が広がっているのか、胸がバクバクし、息を呑む、そんな緊張感がありました。
それではいってみましょう。
はじめて実感した津波の脅威
この日、まずは最初の目的地に向け、相馬市・南相馬市を車で走りました。そこは幹線道路ということもあり、初めに見えてきたのは、沿道に並ぶ大型店などの見慣れた光景。
しばらく走ると、段々と建物が減り、「ここから津波浸水区間」という見慣れない標識が目に入ってきます。何も知らなければ、一見普通の田んぼや畑。ただ、よく見てみると、雑草が生い茂った土地が多く点在していました。震災に伴ってそうなったのか、それ以外の理由なのかは分かりません。
その他にも、工事車両の圧倒的多さ、遠くに見える高い防波堤など、津波があったと実感させられる要素が多くありましたが、過去の風景と照らし合わせることができないので、どれくらいの被害があったか計り知れないのが正直なところです。
しかし、その中でも津波の脅威を強く感じことがあります。それは、防波堤が全く見えない場所さえも、「津波浸水区間」の標識が立っていたことです。つまり、海が見えない内陸にまで津波が押し寄せたということ…。確かに相馬市・南相馬市は平坦な地形が広がっていますが、それにしても信じ難い光景でした・・・。
こちらは、途中の道の駅にあった観光案内図。津波被災と書かれた場所が多く見受けられます。
福島における被害は、どうしても原発事故のイメージが強いですが、車を走らせるだけでも、津波による被害の甚大さがよく分かりました。
そもそも原発事故の原因も津波ですよね・・・。
東日本大震災・原子力災害伝承館
最初の目的地は、福島第一原子力発電所から約3kmのところに位置する『東日本大震災・原子力災害伝承館』。
館内の展示物の撮影はできますが(※一部映像等は撮影不可)、あくまで個人利用のみとなります。そのため、この記事で中の雰囲気をお見せすることはできませんが、実際に見てきた感想をお伝えできればと思います。
MAP|地図
こちらの施設の展示は、見せ方・伝え方に物凄く凝られており、「伝承」という点はもちろんのこと、「学ぶ」という点にも特化していました。
私のように、初めて被災地を訪れる方をはじめ、子供も含め幅広い世代の方に、とても分かりやすい展示内容だと感じます。言葉が適切か分かりませんが、非常にとっつきやすい印象。
また、1日に4回「語り部口演」が行われています。私もこの口演に参加し、実際に被災された語り部の方から、ご自身で撮影された写真や映像を基に、実体験をお聞きし、これまで知らなかった現実の一部を学ぶことができました。
たとえば・・・。
- 直前まで津波に対する認識が甘かったこと
- 津波は1回ではなく何度も押し寄せたこと
- 田舎ならではの深いご近所付き合いにより、救われた命があること
- その一方、前日に話したご近所さんなど、身近な方が犠牲になってしまったこと
- 避難生活の実態(避難所を何度も転々としなければいけない方も多かったそう)
- 福島県産農作物などに対する風評被害の実態や対応
口演の最後は、こんな言葉で締めくくられました。その言葉の「重み」と「願い」を強く感じます。
- 『命を大切にして生きてほしい』
- 『生きていなければ、身近な人に声をかけることも、助けることもできない』
朝一でたまたま私1人だったので口演の後も、語り部の方と気さくにお話させていただきました。他の施設でも口演していること、ちょうど私と同年代のお子さんのこと、私の旅のことなどなど。
本当に貴重な時間をありがとうございました。
この日以降、他県を含めていくつか伝承施設を訪れましたが、定時回で口演を実施しているところはあまりありませんでした。(※コロナの影響もあるかもしれません)
数々の展示に加え、被災された方の実体験を直接聞いて勉強したいという方に、ぜひともおすすめしたい施設です。
震災の爪痕を残す街
1.双葉町とは
伝承館見学後は、同『双葉町(ふたばまち)』の中を歩くことにしました。
双葉町は、原発事故の影響で帰宅困難区域になっていた地域です。2020年になり、ようやく一部区域で立入規制が緩和されました。そのため、今なお震災当時の姿が、そのまま残された場所があります。(2021年時点)
今回は、昨年新駅舎がオープンした『双葉駅』から徒歩圏内のエリアを周りました。
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2.JR双葉駅
JR双葉駅の駅舎は、とても新しく綺麗。
オレンジの建物は休憩スペースになっており、「ふたばプロジェクト」というまちづくり会社の職員の方が常駐しており、様々な情報を得ることができます。私もまずここで立ち入りが可能なエリアなどを教えていただき、周囲を回り始めました。
双葉駅の前に立つと、まず目に入ってくるのは色鮮やかなウォールアート。
震災以前、この場所で居酒屋を経営されていた方、そして各地で壁画などを手がけるアート会社OVER ALLs(オーバーオールズ)の代表の方が、たまたま出会ったことがきっかけで始まったプロジェクトなんだそうです。
壁画のひとつひとつにストーリーがあり、このアートで双葉町を再生させたいという願いが込められています。会社のHPに詳しい内容が掲載されているので、ご興味のある方はチェックしてみてください。
3.駅周辺を歩く
色鮮やかで明るい駅前から少し歩みを進めると、すぐに震災当時のまま残された街並みが現れます。
注意事項等
周辺を歩く際には、事前に確認しておきましょう。
実際に現地各所で撮影した写真がこちらです。
震災による損傷だけではなく、人の手が付けられずに風化とも思われる要素も多々見受けられます。
道を引き返し、逆側のエリアにも足を踏み入れてみます。こちらも、まったく人気がなく、長いこと手付かずだということがよく分かります。
自販機のドリンクは見覚えがあるものの、パッケージは2011年当時のものと思われます。ここひとつとっても、長い年月を感じますね。
放射線量の計測機器も各所に設置されていました。
下写真の消防団の建物には、当時の団員や住民の方の行動が垣間見えます。
このグニャグニャと曲がったシャッターは、地震によるものではありません。地震直後の停電により電動で開けられなかったため、人力でこじ開け、中の消防機器などを取り出したんだそうです。
また、時計を見てもらうと、地震直後に止まってしまったことが分かります。
これらのことは、先述のまちづくり会社の職員の方に教えていただきました。その方は、震災当時双葉町の隣町に住んでいた方で、私と同年代。同年代の方の経験をお聞きし、当時の状況を知ることができたことは、本当に貴重な時間でした。
これらの写真を見ていただくと、時が止まったままという印象しか抱かないかもしれません。実際、原発周囲の地域には、まだ規制が厳しいエリアが多々あります。
ただ、この双葉町では、2022年から改めて居住ができるよう、一歩一歩準備が進められています。私が訪れた際にも、各所で下水道工事などが行われていました。
10年という時は経ちましたが、着実に前に進んでいることは確かだと思いますし、駅前の壁画はその象徴になっていると感じました。
『いわき震災伝承みらい館』
この日最後に訪れたのは、福島県沿岸部最南端のいわき市に位置する『いわき震災伝承みらい館』です。
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規模こそ大きくはありませんが、いわき市における被災状況や復興に向けた道のりなど、映像・写真・パネルを基本として豊富な情報量がありました。
こちらは、津波により時が止まったタイムレコーダー。なんとも生々しさがあります。
屋上には、震災前後の様子を比較できる写真があり、その被害の大きさを実感できます。
見にくくて申し訳ありませんが、震災前には多くの建物が立ち並んでいたことが分かります(右写真)。その一方現在は、新しい住宅が点在しているのみで、多くは更地になっていました。
伝承館前には、防災緑地が設けられ、その先には海が広がっています。
正直なところ、とても9m近くの津波が押し寄せたとは思えない、綺麗で穏やかな海でした。
10年経った今、震災の爪痕がほとんど残っていない場所、綺麗に整備された場所がほとんどという印象です。やはり、当時の状況や教訓を伝える施設や遺構が持つ意味は、とても大きなものだと考えさせられました。
おわりに
今回3箇所の施設や街を訪れ、色々と見て回りましたが、この1日だけで深く勉強しきれた訳ではありません。浅い内容にはなってしまいましたが、このブログを読んでいただいた方にとって、多少なりとも現地を訪れる、また防災について考えるきっかけになればいいなと思っています。
もう少し先になりますが、宮城県・岩手県にて訪れた東日本大震災の関連施設についても、順を追ってご紹介していく予定です。
それでは本日はこの辺で!!
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