日本一周 宮城県

【日本一周No.30】軽々と流された自動車、これは現実なのか…。 <宮城県⑥>

2021年9月13日

どうもこんにちは!
クレヨンぶろぐです🚐💨

今回は、宮城県気仙沼市に訪れた様子を記事にしました。

東日本大震災の津波により、甚大な被害があった気仙沼。震災から10年が経った今、震災の爪痕はどのように残され、現在の街の姿はどうなっているのか。終盤には、古くから港町として栄えた気仙沼ならではのグルメなどもご紹介します。

それではいってみましょう。

気仙沼を襲った津波

まずはじめに、みなさんは東日本大震災により、気仙沼にどれほどの被害があったのかご存知でしょうか。

数次として見ると・・・。震災による津波、その後の火災により、死者1,152人(震災関連死含む)、行方不明者214人にもおよぶ被害。(参照:気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館パンフレット)

これほど多くの方の尊い命が失われ、その周りの方がどれほど悲しく苦しい思いをしたか、どの被災地に訪れても、この数字が示すものは受け止めきれません。

震災から10年が経ち、気仙沼の街はものすごく綺麗になっています。今回は、震災の記憶として保存され、今後の教訓を伝えるべく、2019年に開館した伝承施設をご紹介します。

そこで目を疑うような光景を目の当たりにしましたが、これはほんの一部に過ぎません。震災当時、あちこちで同様の光景が広がっていたことを思うと、何ともやるせない気持ちになります。

それは写真を見ることでも感じるはずです。ぜひ、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

「目に見える証」として
震災遺構・伝承館

今回ご紹介する施設は『気仙沼市 東日本大震災遺構・伝承館』

こちらの施設は、「旧・気仙沼向洋高校」の校舎を震災遺構とし、その校舎に隣接した伝承館を合わせた伝承施設です。

MAP|地図

それでは、当日の見学ルートに沿って、順にご紹介していきます。

1.施設外観

入口の建物は「震災伝承館」となっており、展示コーナーや談話室、研修室などがあります。こちらの建物は、震災以前から存在した建物ではなく、校舎の横に新たに整備された建物です。(※入館受付は入ってすぐ)

一方、こちらが震災遺構として保存されている「南校舎」です。また、写真右の黒い建物が先述の「震災伝承館」、さらに奥の青い建物が「北校舎」となります。(分かりづらくてすみません)

写真をよく見ていただくと、南校舎3階の窓枠がないことにお気づきになると思います。信じ難いことですが、津波は南校舎4階足元の高さまで浸水したそうです・・・。

2.震災伝承館

伝承館内は、撮影できませんのでご注意ください。

入館受付を済ますと、はじめにシアタールームで、気仙沼における震災当時の記録映像を鑑賞します。(※毎時00分・20分・40分に上映)

記録映像の中には、報道カメラだけではなく、被災者お一人お一人の手によって撮影された映像も数多く残されています。撮影された方の声や震え、周りの方の様子など、生々しくもそれが主観的に伝わり、自分ごととして捉えられる気がします。

この時点で感情が溢れ出そう…。

映像鑑賞後は、被災後の街の写真が展示されているコーナーへと進み、その先がいよいよ震災遺構の校舎です。

3.南校舎屋内

南校舎は、1階から屋上へと続く順路に沿って、見学できるようになっています。

1階の教室は、ほとんど躯体しか残っておらず、床には瓦礫やロッカーなどがそのままの状態で保存されています。

思いの外、1階部分は瓦礫が少ないように感じます。すでにある程度撤去されているのか、それとも低層階の方が引き波の影響が強いということでしょうか。

一方、トイレのような間口の狭い場所には、大きな部屋に比べて、瓦礫が溜まっている気がします。

1階の見学が終わり、次は3階へと進みます。(※2階は立ち入りはできません)

先述の通り、この校舎は3階が浸かるほどの津波に襲われました。実際に3階まで上がってみると、目の前に本来ないはずのものが・・・。

なんと自動車です…。

この車の存在は前から知っていましたが、現物を見たこの時でさえ、現実なのかはっきりしない。

地上3階、約8mの高さまで車を流す津波…。いくら頭で考えてもイメージがつきません。結局この場では、驚きが大きく、脅威や恐怖といった感情に至ることさえできませんでした。

車の周りには、1階の様子とは異なり、教科書やテレビ、書棚など、教室ということがよく分かるものが多く散乱していました。身近なものだからこそ、衝撃がとても大きい。

3階を後にし、4階へ。

津波は4階の足元まで及んでいます。その高さを物語るものとして、「錆びたレターケース」が残されていました。

錆の具合によって、膝下の高さまで水に浸かってしまったことがよく分かります。

この他に、4階の外壁には「激突跡」があります。

何がぶつかったのかというと、それは冷凍工場。「冷凍工場にあった〇〇」とかではなく「冷凍工場」そのものなんです。

外から見た「激突跡」

この痕跡一つとっても、私自身が想像していたものと、実際の自然災害のスケールがかけ離れていることを痛感させられました。

4.南校舎屋上

南校舎最後の見学場所は、屋上です。

下写真は、津波が発生した際に校舎に残っていた教職員や工事関係者の方々が、少しでも高い塔屋部分に避難するために、積み重ねた机を再現したものだそうです。

最終的に、津波は4階足元の高さでしたが、それはあくまで結果です。こうした絶対に生き抜こうとする行動によって、紙一重で命を繋げた方々も多くいるのではないか、そんな風に感じました。

この他に、震災時の周囲の写真が展示されており、現状と比較することができます。

震災時①

とても屋上から撮影したとは思えない写真。

現在①

現在は、パークゴルフ場になっており、ちょうど大会が開かれていて賑やかな声が聞こえてきます。

周りの建物はほとんどなくなっていますが、それでも伝承施設の間近に、このように人の営みがあるというのは、私はすごく良いことだなと感じます。(すみません、うまく言葉にできませんでした。)

震災時②

こちらは、中庭と対面する北校舎を写した1枚。凄まじい水流だったことがよく分かります。

現在②

津波が押し寄せた北校舎1・2階は、全て空洞になってしまっています。

南校舎と北校舎はわずかしか離れていないのに、1層分も津波の高さが違っていたんですね。南校舎が障壁となって弱まったのだと思いますが、それにしても高い・・・。

5.屋内運動場

南校舎を後にすると、外の「屋内運動場」の前まで出ることができます。(上写真は南校舎屋上から撮影)

一般的なドーム型の体育館だったのでしょうか。コンクリート造の部分だけが残り、当時の姿がまるで分かりません。

体育館部分は、まるっきり外。

6.北校舎

屋内運動場の脇を進むと、「北校舎」「総合実習棟」の間に引っかかった瓦礫や車が、そのまま残されています。

震災直後には、下写真のように家屋が挟まり、宙に浮いた状態になっていたそうです。

こんなにも簡単に車や家屋を流してしまうんですね…。

震災遺構の見学ルートは、最後に北校舎の1階廊下を通って終わりです。この廊下には、震災前の高校生活を切り取った写真が展示されています。

一瞬にして当たり前の生活が一変したことを実感。

7.震災伝承館内

北校舎を抜けると、再び震災伝承館へと戻ります。

初めに見学した展示コーナーとは異なり、震災後の救助や行方不明者捜索、避難所の様子などの写真が展示されています。その他にも、「被災者の想い・命の大切さ」と題した映像上映、震災後の復旧・復興のあゆみなど、震災の先を語る展示がありました。

8.施設周辺

伝承館だけではなく、その周辺にも震災を物語る展示や施設があるので、訪れる機会がありましたら、合わせて立ち寄ってみてください。

被災した工事車両
伝承館から徒歩約10分のところにある防波堤
地上からだと海があるのも分からない高さ

以上で、伝承施設およびその周辺の見学はおわりです。

実はこの施設は、旅に出発する前から、絶対に行こうと決めていた場所でした。事前に施設内の写真なども見ていましたが、やはり自分の目で見て新しく感じることがたくさんありました。

ご興味を持っていただけた方は、ぜひ足を運んでいただき、ご自身でも何かを感じ取ってもらえたらなと思います。

気仙沼の「いま」

続いては、現在の気仙沼の街の様子をご紹介していきます。

初めて気仙沼に訪れた素直な感想は、新しく綺麗な港町だなという印象を受けたということ。今回は、主要な場所しか訪れていませんが、一見甚大な被害を受けた街とは思えぬほど、綺麗な建物が立ち並んでいました。

むしろ、綺麗すぎるという点が、逆に震災があったことを物語っているように感じました。

1.安波山

市街地の北側に位置し、気仙沼湾と市街地を一望できる『安波山(あんばさん)』

この場所から、気仙沼の震災前後の街の姿を見比べることができます。

MAP|地図

こちらが、震災前の様子が分かる看板。見にくいですが、写真に表示された黄色い線まで、津波による被害があったそうです。

そして「いま」の気仙沼がこちら。

要所要所震災前の面影がありますが、かなり建物の数が減り、空き地が増えています。その一方で、新しい施設が至るところにあることが分かります。

2.PIER7

真新しい気仙沼の施設の中でも、一際目立っていたのは『PIER7(気仙沼市 まち・ひと・しごと交流プラザ)』

MAP|地図

2019年に竣工した新しい建物で、音楽スタジオや交流スペースをはじめ、「ラヂオ気仙沼」などのテナントも入った複合施設です。

施設の横には、気仙沼湾のクルーズ船の発着場所が隣接しており、気仙沼の観光拠点とも言える場所になっていました。

交流拠点であるこの施設にとって、今のご時世厳しい状況ではあると思いますが、早くコロナが収束し、気仙沼が多くの人で賑わっている姿をまた見に行きたいです!!

3.気仙沼お魚いちば

最後は、気仙沼でいただいたグルメをご紹介!!

気仙沼といえば古くから漁船が集まる港町として栄えた街。それは現在も変わらず、数多くの漁船が停泊していました。これだけの漁船が集まる街ということは、当然新鮮な海鮮をいただけるということ。

そんな気仙沼でランチをいただいたのは『気仙沼お魚いちば』!!

その名の通り、市場の中にお食事処があり、刺身定食や海鮮丼をはじめ、一品料理など、新鮮で豊富なメニューが揃っています。

MAP|地図

ここで私は、ド定番の「海鮮丼」をいただきました。

やはり港町の海鮮は新鮮。どの魚もプリプリで美味しかったですが、特に印象に残ったのはイクラ。大体どこでイクラを食べても私的にはしょっぱ過ぎて敬遠しがちなのですが、すごくちょうど良い塩味でドストライクでした!

だいき

港町に行く日は、胃の許容量が普段の何倍かに上がる体のシステムになってほしい…。笑

こんな美味しい海鮮をいただける『お魚いちば』ですが、かつては津波により大きな被害を受けています。店舗目の前には、1階は軽々と超える津波の表示がありました。

見えにくくて申し訳ありませんが、被災当時の店内の写真も貼られていました。

このように、市内のほとんどの場所が被災し、計り知れない大変な思いをしながらも、復興が進む新たな街の姿があります。

震災の現実を見ることも本当に大切なことですが、一方でその土地の古くからの文化や食事、風景などを楽しむことも復興の一助になるのではないでしょうか。


今回の気仙沼探索は以上です!!

最後に、お風呂上がりに撮った一枚をどうぞ(iPhoneだけど)。美しい港町。

おわりに

以上が、今回気仙沼に訪れ、私が見て感じた全てです。

今回訪れた場所は、ほんの一部分にに過ぎませんが、この記事を読んでいただき、気仙沼や他の被災地に興味を持ち、訪れるきっかけになれば嬉しいです!

それでは本日はこの辺で!!

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